前会長コラム
前会長コラムは、毎月1日に発行しているメールマガジン「愛eyeメール」の巻頭言に掲載した記事です。
平成24年11月号「記念日11月1日」
点字を読む指先に冷たさを感じる季節となりました。会員の皆様、お変りございませんか。読書の秋ということで点訳や音訳された図書、最近の電子書籍などで、読書を楽しまれている方も多いことと思います。今年から、11月1日が「古典の日」として法律で定められました。この日の由来は、1008年の11月1日に源氏物語の記述が「紫式部日記」に初めて出てくるからとのことです。文学の古典だけでなく、音楽、美術、伝統芸能などを広くとらえて、歳月に朽ちない輝きに親しむことを趣旨としています。
また、11月1日は「点字の日」でもあります。法律で制定された日ではありませんが、日本の記念日として認められています。1890年(明治23年)11月1日に東京盲唖学校で開かれた、点字選考委員会で、石川倉次による案が、日本点字として採用された日です。この日に全国の盲学校では点字競技大会など関連行事が行われます。
石川倉次に日本で使える点字の考案を依頼したのは、東京盲唖学校長であった小西信八(のぶはち)先生です。小学校の先生だった石川を視覚障害教育に引き込んでいます。石川は日本語の点字を8点で表すことを考えたようですが、小西はブライユ式6点の点字の考案を求めて現在の6点の日本点字になったようです。
小西先生が視覚障害教育に引き込んだ重要な人物としてもう一人います。茨城県出身の町田則文(のりふみ)で、1910年に、東京盲唖学校の盲聾分離によりできた東京盲学校の初代校長として抜てきしています。町田は欧米の盲教育を日本に紹介し、視覚障害教育の発展に尽くしました。また、点字の表記を石川と協議したり、石川倉次が執筆した「日本訓盲点字説明」を著作権者文部省として出版するにあたっての労をとるなど、点字の社会的な認知を高めて、1926年に初めて点字投票が認められることに貢献しています。
なお、町田は、愛媛大学教育学部の前身である愛媛県尋常師範学校の校長として1889年12月~1891年5月に就任しています。ちょうど日本点字が決まった年に愛媛県の教育に関わっていたという縁がありました。夏目漱石が旧制松山中学に赴任する5年前のことです。愛媛県は、11月1日を「えひめ教育の日」と定めています。
最後にもう一つ記念日を、「犬の日」もありました。それは、「わん、わん、わん」とのことです。
愛eyeメール第124号 平成24年11月号巻頭言から 和田浩一
- 平成25年3月号「真の平等な社会に」
- 平成25年2月号「眼では見えない放射線を」
- 平成25年1月号には、巻頭言がありませんでした
- 平成24年12月号「『障害者週間』をカレンダーに」
- 平成24年11月号「記念日11月1日」
- 平成24年10月号「時を越えた不思議な縁」